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 ■ 列伝モード・呉伝


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 ▼周瑜伝▼

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内容

 ▼陸遜伝▼

少年軍師的視点  〜魚腹浦突破戦〜


文責:那智


不気味な風が、強かに頬を打った。

細い道の先に広がるものは、薄暗い洞窟のような、広場のような、何とも奇妙な地形。

あまりにも不気味なその様相に、思わず息を呑んだ。

恐らく、この先には日頃”先生”と崇める、かの諸葛亮殿が待ち構えている筈。

この地にどのような罠が待っているか、想像もつかない。

だが、ここを通過せずに白帝城へは辿り着けないのだ。

 
「罠なのはわかっています。ですが……蜀を討つため、ここは突っ切ります」
 
 *     *     *
 
どれほど彷徨ったことか、もう何度もこれと同じ景色を見たような気がする。

「似た道ばかり、迷ってしまいそうですね」

我ながら弱気なぼやきが、口をついて出るのを止められなかった。

石碑とも石像ともつかない物体が、行く手を阻んでは消えて行く、摩訶不思議なこの地。

これは幻術の類なのか、もしくは計算によって作り出した陣形なのか、さっぱりわからない。

その混乱を煽り立てるように、巧妙に配置されている伏兵もまた、効果的で。

流石は諸葛亮先生、と我知らず賞賛していた。

何度か現れた伏兵―――関興や張苞達を撃破した今も、未だその出口は見えていない。

あとどれ程彷徨えば出られるのだろうかと、そう心中でこぼした時。

また伏兵が現れた。

兵を率いているのは、どうやら五虎将たる趙雲将軍。

では、これから先は五虎将軍がぞろぞろと出現するのだろうか。

このままだと、本気でこちらの身が持たない。

これが最後となることを、心底願わずにはいられなかった。

 *     *     *
 
趙雲将軍の出現から遅れること少し、放っておいた伝令兵から「黄承彦殿がいらっしゃいます」との報告が入っていた。

その時はそれどころではなかったが、超雲将軍を何とか撃破した今、もう一度確認をしてみた。

現在地より南の地点に、確かに黄承彦殿がいらっしゃるらしい。

行ってみると、文官風な格好をした男性が一人で佇んでおり、私の顔を見ると小さく頷いて、「ささ、どうぞこちらへ」と先導し始めた。

一瞬、罠かもしれないという疑惑が頭を過ぎったが、これ以上状況が悪くなりはしないだろうと判断する。

「ここを抜ければ、白帝城はすぐですぞ」

「ありがとうございます、助かります!」

急いで黄承彦殿の後を追うと、彼は一度も迷うことなく、するするとこの陣形を歩んでゆく。

そして――――どうやら抜け出せたようだった。

「諸葛亮先生……驚くべき奇策、勉強になりました」

背後に変わらず佇む、その不気味な洞窟と呼べるかは定かではないもの。

それを省みて、自然と相手への敬意が湧きあがってきた。抜け出せなければ、生命に関わった奇策だとしても。

そして、そんな自分に気づいて苦笑した。

日ごろ先生と呼んでいるとはいえ、今は敵なのだ。そんな低姿勢、低迫力でどうする、と。

深く息を吐いて、呼吸と自分自身の士気を整えた。

――――――――さて、と。

「今度は私の番ですね。遠慮はしませんよ」

その声が、風を通して伝わったのだろうか。

恐らく、程遠くはない位置にいる、諸葛亮先生その人へ。

そう大きくはない声が、洞窟に反響して聞こえてきた。

「思ったほど、時間は稼げませんでしたね……仕方ありません」

薄暗い中では、ここからどれ程の距離に彼が待っているのか測れない。

その呟きと共にある表情は、苦笑なのか、それとも余裕の笑みなのか。

それを確かめるために。

諸葛亮先生を、劉備を、蜀を追い詰めるためにも、この先へ進まねばならない。

それこそが、この戦いの終焉であり、次へ繋がる一歩となるのだから。

足元で踏みしめた土が、心なしか大きな音を立てる。

「私がお相手しましょう」

先ほどより涼やかに、先ほどより近く聞こえた声に、望むところです、と心中で答えた。





 →内容

 ▼孫尚香伝▼

弓腰姫的視点  〜劉備脱出戦〜


文責:Ail


いつでも、事実を受け入れることを拒みはしなかった。

兄が死んだ時も、自分にきた縁談の話を聞いても。

そしてその夫と早々に別れる機会が訪れてしまった、今も。

*     *     *

「私には帰りを待つ者達がいる。蜀に・・・戻らねばならない」

「ええ。国主として、当然の務めね」

「・・・短い時だったが、そなたと出逢えてから今まで、私は数少ない安息の時を送れた。感謝している」

「・・・玄徳様。先ほどから何を仰るの?私はあなたの妻よ」

「・・・・・・?」

「蜀へ。私も参ります」

「尚香・・・しかし、追手も来るのだぞ?」

「そんなもの・・・私を誰だと思っていらっしゃるの?」


「呉の姫将軍、弓腰姫の名は__伊達ではないわ」

*     *     *

「・・・呉兵を斬ったのですか?」

重い表情で問い掛けるかつての味方。彼が説得役なのだろう。

「・・・・・・」

その隣には、ただ無言の殺気を放つ剣士がいた。きっと彼が強行役。

彼の放つ空気は、殺気だけだった。動揺も、迷いも、その刀身のように一点の曇りも無い。

憧れていたのは、そんな強さだった気がする。

肯定も否定もしないまま、馬上で圏を構えて、何度目かの「決心」を述べた。

「私は玄徳様と一緒に生きるって決めたの」

私の脇を固めているのは、道中単身で護衛を願い出た近衛達。安易に手は出せないだろう。

そんな守られた状態で言うと、格好がつかないかもしれないけれど。

「誰にも、邪魔なんてさせないんだから!」

それを号令代わりに、近衛の皆と背後に控えていた趙雲が飛び出した。

もう迎えの船は近い。そして逃げ切ることだけが、今求められていることなのだから。

何度かこの手で、全員が先に進んできた。

うまく運ぶ自信は無いけれど、今は信じるしかなかった。

馬首を返し、玄徳様と同時に駆け出す。



「・・・行かせん・・・」

呪詛のような呟きが聞こえ、背後から悲鳴が上がった。

追いつかれる__?

恐怖にも似た感情が、いつしか言葉を叫ばせる。

「止める必要は無いわ!」

驚いたように玄徳様がこちらを見る。そして、私の馬は段々速度を落としていった。

「私が生きていれば、呉蜀の絆は消えない。それが魏を打ち破るものとなるかもしれないのよ」

次々と溢れる言葉は、こんな状況でも私の真実を語った。命乞いではなくて。

玄徳様の背が見えた。どんどんそれは遠ざかる。

「その為にも私は行くの。兄様にも、あなた達にも出来ない、私だけの方法よ__!」

孫家として生まれたその意味を。それを知り、果たすための方法。

どうして、彼らに止められるのだろう?



叫ぶことが落ち着きを取り戻させていた。

ふっと我に返り、反転して彼に向き直る。

この言葉だけは、正面から伝えなければいけない。捨て台詞と思われてたまるものか。

「兄様に伝えて頂戴。尚香は二国を護るため、己の戦場を駆け続けると!」

「_____!」

今にもこちらに斬りかかろうとしていた刃は、丁度首を裂く手前で止まった。

目深に被られた兜の中の視線と、目が合う。

一瞬の静寂。そして。

決して斬りかかってはこないという、確かな自信を感じながら馬首を返し、駆け出した。



淘汰する以外に道は無い?永遠に並び立つことなど不可能?

真理であっても認めない。認めないことで、新たな道を探す。

貴方の妹だから。それは諦めて、兄様。

*     *     *

「ふーっ、ここまで来れば、もう大丈夫ね」

迎えの船まであとわずか。既に視界に入っていた。

のんびりと駒を並べながら、夫婦最後の一時を過ごす。

ぽつりと、玄徳様の呟きが聞こえた。

「良いのか?そなたはもう、呉に戻れぬことに・・・」

「・・・・・・」

引き返せない道であることは知っている。手を見下ろせば、それを雄弁に語ってくれた。

けれど、だからこそ、引き返すことを考えるのは不遜になる。

だから__どんな道も、歩む。手を引いてくれる、この人がいる限り。

負った痛みが背負いきれなくなるまで。

「いーの!」

途端に気楽な声を上げたのは、改めてそんな事実を確認できたからだった。

駒を並べて、夫婦最後の一時を噛み締める。当分、邪魔が入るだろうから。

「あなたの隣、すっごく居心地良いんだもの!」

笑ったのは、意識してのことではなかった。

それでも、玄徳様は労わるような視線で、じっと私を見つめ続けていた。



少しだけ震えていた肩のせいで、きっと強がりに見えたのだろう。


内容

 ▼孫堅伝▼

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 ▼太史慈伝▼

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 ▼甘寧伝▼


甘寧的視点


文責:暇人


「 よいか、決して無理はするでないぞ。 」

出発前に何度も聞かされた言葉。


無理? 損害を与えるだけ? それならこんな仕事なんかハナからしないぜ! なぁ?野郎ども!

「おーっ!!」

馬鹿野郎!、そんなに大声だと聞こえるだろうが!


・・・


ギーィ・・・ギーィ・・・ギーィ・・・・・・

久しぶりに聞く船をこぐ音。

ザザーン・・・ザザーン・・・・・・

もっと久しぶりに聞く夜の波の音。

夜の海は見てて、心が落ち着いてくる。

それとは別に何かゾクゾクする。波の音を聞いてるとさらにだ。

そして、闇夜に紛れての出陣――――― これほど楽しみのスパイスはない。



・・・


「 敵の陣が近い、灯かりを消せい! 」


もうさっきまでの視界は見えない、見えるのは唯一つ、敵陣の焔。


・・・

「 ・・・よし、今だ! 」

ザッ、

「 な、お前ら・・・敵だ!! 敵し・・・ 」

ドサッ、


いよっしゃぁ!! 皆、存分に暴れろ! いいな!?


「 おー!!! 」


鈴の音に慄け!! 呉将甘興覇! 手加減はしない!



内容

 ▼呂蒙伝▼

呂蒙的視点 〜麦城包囲戦〜

文責:サソリ屋


「見事だ!」

 大地にしっかりとその足を踏みしめ、軍神・関羽が賞賛してくる。

「呉の呂蒙、これほどの将と成るとはな」

 ――最早呉下の阿蒙に非ず――

 そう言って勝ち誇るようなこと、今の俺には出来そうもないが。

 関羽はくるりと背を向けて、どっかりとそのばにあぐらをかいた。

 衝撃と――そして暗澹たる想いとが、俺の全身を押し包む。

 ――予想など、出来ていたことだ。最初から、分かり切っていたことだ。

 事ここに到れば、関羽がそのようにすることも。そして、自分が為すべきことも。

 いよいよ豪雨を降り注ぎそうな、真っ黒な雲の下に在り、関雲長はじっと暗雲を睨みつけていた。

*     *     *

「この先には一歩もやらん!なあ廖化!」

「おう!我らが盾となり、壁となろうぞ!」

 周倉、廖化。 援軍要請に離脱する関羽が残した二人の将と、麦城門前で戦う間は、まだもう少し、雲の色合いは薄かったか。

 ――見とれるほどの、武勇だった。

 盾となり、壁となる。言葉通りの奮戦を見せる彼らを拝んで、武勇だけだった昔の自分が鎌首をもたげてくるほどに。

「よかろう!」

 阿蒙に屈して、俺は叫んだ。

「呉将呂子明、お相手致す!」

*     *     *

「麦城の制圧を完了しました!」

 二人を退け、開門した麦城の内外に、その伝令が響いた頃には。

 俺は既に城内を突っ切り、城の裏門に配した伏兵と戦い続ける関羽親子の後姿を目に捉えていた。

 が――

 既に――という意味では、既に彼らも伏兵のほとんどを斬り捨てて、本当に突破しようとしていた。

 まったく――なんという……!

「追いつかれたか……」

 こちらの接近に、関羽が気づいた。

「よかろう!」

 思い切りよく、こちらへと向き直ってくる。それは関平もまた同じ。

『………!』

 鬼神と化した軍神の面(おもて)が、俺を、呉兵を、圧倒してくる。

「これ以上は退くまい!いざ、勝負!」

「くぅッ……!」

 この、気迫――だが、怯むわけにはいかなかった。

「我が智勇の全てを懸けて――」

 虎顎を、関羽へと突きつける。

 進まないわけにはいかなかった。気持ちも、刃も、一歩たりとも退けなかった。

 軍神をここで絡めるためには。孫呉全員で手を染めた、汚らわしい諜略を無駄にせぬためにも!

「――ゆくぞ、関羽!」

 先頭で、二人に打ちかかる。

 引き連れていた数多い兵士が、生き残っていた伏兵が、一斉に攻撃を開始する。

 たった二人の、逃亡者へ向け。

*     *     *

「斬るがいい」

「…………」

 血煙の収まった、戦場で。

 その場に息吹をついているのは、関羽と、俺と、二人のみ。

 関平は倒れていた。配しておいた伏兵らもまた。引き連れてきていた兵たちも、また。

「お主の武勇、冥土で語ろうぞ」

 朗々と――嫌というほどに、澄み切ったその声。

 このような言葉を紡げる者に、選択肢など毛頭有りはしなかったのだ。

 降伏、という選択は。

 ならば――

 俺の為すべきことはひとつ。

 関羽、俺も捨てようと思う。この計略が始まってから、ずっと抱いていたある選択肢を。

「降る気は無い……か」

 関羽の、十分の一でいい。ほんの少しでも澄んだ心で、俺はその背に言ってやる。

 そして――

内容

 ▼黄蓋伝▼

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内容

 ▼孫策伝▼

小覇王的視点 「孫策幻影奇譚」


文責:betti

 
 寝苦しい夜が続いている。

 寝台の上、布団の中で滲む汗に不快感を募らせていた。だが、あえてこれを改善するための努力をしようとは思わない。

やれやれと、自ら心中でごちてみるが、何事にも億劫になっている自分に呆れるのにももう慣れていた。

 そんな時は視界に広がる色のない部屋を、或いは天井を見回す事にしている。

もっとも昼夜を問わず、他に出来る事など無ければ、これしか出来ないというだけの事であった。

そのために飽きる程に眺め、それでも尚、今もまた同じように眺めている。
 夜に眺める視界には闇が紛れる。

特に壁の隅などを眺めていると、濃い墨でできた霧のようなモノが空気に滲み込むように拡がり、また消え失せていくのがわかる。

見渡せば視界一杯に広がっている事があれば、風でも吹いたのか刹那の後には霧散している事もある。
 

 ……孫策……孫策……孫策……
 

 ふと吹き抜けた風に、自分への呼び声が混ざっているように思われた。

 ほぉう、と孫策は声を漏らした。

 ねっとりとした風、猛暑から身を慰めるための風では無かった。

重たいと思える程の湿気を含み、あらゆるものにしがみつくような粘性を持った風であった。

だがこの風は闇を運んできた、現に部屋の中で渦巻く闇は部屋の隅に留まらず、天井の真ん中、部屋の中央、

あらゆる場所を問わず、一寸の先すら見通せない密度で空間を支配し始めていた。

 先程の声は、この風が闇の乗る風なのだな、と感心して漏れた一言であった。

 自分でも下らないと思ったが、その慰めを敢えて嘲笑と一緒に呑み込んだ。


 
 部屋の中を渦巻き、漂う暗闇の霧。

 だが眼前の闇は既に粘っこい異物としか思えず、或いは手で触れられるのでは無いかと思わせる程の非現実的な存在感があった。

 そんな中で孫策の身体にあるモノが微かな反応を示す。


 ここは戦場では無い。

 理性の声は本能に掻き消されていた。

 
 裂帛の気合い。

 直後、寝台に突き立ったのは銀光を放つ剣。

 
 眼前で渦巻く暗闇の霧。孫策はその中に、或いは奥に、確かに人の気配。

戦場で慣れ親しんだ自らに立ち向かう意志。微かながらも貫くような殺気を感じ取っていた。

 病に沈もうとも武人としての矜持は孫策を孫策として成さしむものであった。

 気付けば孫策は、寝間着のまま飛び起きて暗闇に向けて渾身の力で殴りかかっていた。

 無論、孫策自身、心の片隅にナニを馬鹿馬鹿しいという気持ちもあった。

 だが闇の中に突っ込んだ拳に伝わる感触があった。

 そしてすれ違うよう、闇の中から突き出て来た両刃の長剣。矢のように空を駆けた先、突き立ったのは先程まで眠っていた寝台の上。

 気付かずに眠っていれば喉元を貫いていただろう。

「ひゅう、危ねぇなあ」

 言いながら孫策は暗闇から殴り落ちたナニかに向けて再び駆け寄り身体ごとぶつかるような蹴りを入れる。


 
 孫策の蹴りは鉄靴を履いていれば鎧を付けた兵士ですら一撃で昏倒させられる。

今回の感触からすれば相手は鎧も着ていない、明らかに生身の手応えであった。こちらも裸足であるが、当たり所次第では命もあるまい。

 そう確信しながら孫策は息を呑んだ。
 


 絡みつくように漂っていた闇は、瞬きの間に霧散していた。そして蹴り脚を受けて宙を舞っている着物姿の貧相な男。

下腹部に直撃を受けている、平気な筈は無いが男は宙に浮いたままの姿勢でにやにやと笑っている。

「勢いだけは天下一品だのう。東呉の小覇王どの」

 孫策は蹴り脚を出したままの不自然な姿勢のまま動く事が出来なかった。

「何だぁ!?」

 蹴り脚を出したままの姿勢の孫策、宙に浮いたまま、同じく微動だにしない男。

 ある種の彫像のように固まったふたり。

 呆気にとられた孫策の表情を満足そうに眺め、首ばかりを軽く上下させて見せる。

「お初にお目にかかる……儂は干吉という」

「へえぇ、その名前は聞いているぜ。慈悲深い仙人様だってなあぁ」

 言って孫策も負けずに不敵な笑みを浮かべる。

最近、市中に現れ奇跡を施して姿を眩ませ、邪な教えを広めているという。孫策は捕らえて追放するつもりでいた。

 その干吉が向こうから来たという。

「捕まえる手間が省けたぜ。どうやら、本性の方を確認する必要もなさそうだな」

 首は動かさないが意識を寝台に突き立った剣に向ける。

「ふふ……確かに……わしが欲しいのは、お前さんの命よ」

「それがあんたの本性かい?お優しく慈悲深い仙人さんよぉっ!」

 力強く叫んだ孫策。直後に動きを止めていた身体は途端に自由となり、逆に蹴りの勢いに引きずられひとりでたたらを踏む。


 
「ふぉーっふぉふぉふぉふぉ」

 いきなり背後から聞こえてくる声。慌てて振り向いた孫策の先には干吉が奇妙な踊りを見せていた。

けっ、と吐き捨てる孫策だが、干吉の横、背後に奇妙な染みが浮き出ているのが見えた。

「ほぉれ」

 声を挙げる干吉。だがそれは孫策の背後から聞こえた。

「わしは」

 更に二声目は右手。

「ここじゃよ」

 次は左手からであった。

 確かに見えた。空間から染み出た闇が渦巻き寄り集まり、そしてひとつの形になった時、違う干吉が現れたのを。

「くだらねえ術で惑わそうってのか……面白え!だったら術ごと吹っ飛ばしてやるぜ!」

 叫んで突き出した拳の先で全ての干吉の姿は闇に溶け込む。


 
 孫策は病床であってもあえて武器と赤の戦装束を用意していた。

 敵の存在。避けられない戦い、向かってくる敵。

 未だに幻かも知れないという不安が心を蝕む。だが向けられた剣に偽りは感じられなかった。

寝台に突き立った鉄の確かな重さ、手応え。戦場で磨き続けられ、研ぎ澄まされた自らの感覚を今は信じるしか無かった。


 
 自ら覇王と名付けた闘棍、そして真紅の戦装束。常に戦場で自らを奮い立たせてくれた相棒とも、鳥の両翼とも言えるふたつの自身であった。

 だが奮い立つ気力を遮るかのように立ちはだかるモノがあった。

 寝室を出た孫策の視界を占拠した巨大な闇。

 確かに夜の闇であった。だが先程から周囲を疾る巨大な闇の奔流は、肌では無く本能をさわさわと撫でていく。

その不気味な感触にはさすがの孫策も怖気を震う。

更に頭上を巡れば墨色の濁流を思わせる不気味な雲が、さながら大河のような激流となり流れていた。

それは轟々という響きが聞こえてこないのも、今にも天から突き零れてこないのも極めて不思議な程の迫力であった。

 戦でも、病にも圧された事の無い孫策が純粋に感じる恐怖であったか。

 流れる汗の冷たさ、吹き抜ける風の重さ。

 だが孫策は一歩踏み出した。

 心にかかる直截な重圧。引き返しそうになる両足。時に砕けそうに怯える本能。

 それでも強烈な自負心が孫策を支える。

歩み続ける事こそ勝利であり、最後に倒れるその時まで足を留める事は無いと心に決めた男の意地。

 孫策は導かれるように足を宮中に向けていた。


 
「よくぞ逃げなかったな」

 殷々と響く声は宮中、君主が座る席の前に来た時に聞こえた。

朝議の行われる場所であり、本来で有れば毎朝、孫策がその座を暖めていなければならない筈であった。

だが今は冷え冷えとして、まるで他人のモノのようだった。

 何もいない闇に向かってゆっくりと構える孫策。

 いや、孫策の見つめる先。その場所に闇が集まり人の形を成す。

 ぎらりとぬめ付くような、表面を油で濡らしているのではと思われる刃を持った男、干吉が分厚い暗闇の霧を切り裂くようにして現れる。

微かな気配を感じ取った孫策だが、更に同じような気配が周囲に現れる。

「さっきの分身か……」

 静かな呟きを漏らす孫策だが身体から、闘志が炎のように立ち上がり周囲に満ち始めた暗闇を圧倒する。

そして眼前に現れた最初の干吉に対して一直線に駆け出す。意外だったのか慌てた様子で剣を構える干吉。

 素人だな。

 足捌きや剣の扱いで実力など一目でわかる。

 大きく踏み込み右手の棍で剣を弾き、左手の棍で干吉の顔面を捉える。完璧な手応え、と思ったのも束の間だった。

確かに生身の人間を打ち据えた感触だったが、そこから先、人間の身体が崩れる生々しい感触は初めてだった。

 だが身体に刻まれた動きは右手の棍で更に干吉の顔面を殴り飛ばす。

 再びの感触だが、耳に届くのはぶちぶちと何かが千切れ飛ぶ音。そして何故か振り抜かれる右の棍、次いで石畳に落ちる堅いモノの音。

 ぞっとした。慌てて距離をとって干吉を見れば。

 首がなかった。

 気付けばごつんという音が、首無し干吉の背後から聞こえた。何かが転がって言って柱にぶつかったらしい。


 
 悪寒が足下から這い上がってくる。

まるで数十匹の蛇に全身を絡め取られているかのような感触、暴れてでも振り払いたいという純粋な恐怖に根差した強迫観念。

 首の無くなった干吉の身体は、倒れもせず、首筋から光沢の無い、ただ黒いだけの断面をのぞかせながら、孫策の眼前で堂々と背中を見せた。

本来で有れば追い駆ける、だがそれも考えつかない程の混乱が身を包んでいた。

 苛立つ程の、鷹揚とも言えるゆったりとした動作。干吉の首無しの身体は、柱にぶつかった黒いモノ。

もう孫策にも何かはわかったモノを拾い上げた。
 


 自分の首をぶら下げた首無しの身体。崩れた泥人形のような顔に変形した顔面、だが確かににんまりと笑った。

口腔は黒々と奈落の底を思わせ、力無く垂れ下がった顎にこぼれ落ちそうな眼球。だが間違いない、怖ろしくいやらしい笑いだ、確かに笑った。

 だが恐怖におののく時間も余裕も敵は、干吉は持たせてくれなかった。

 周囲に現れた気配、生まれ出る殺気に容赦は無い。


 
 振り下ろされる剣を受け止め、流す。かいくぐり闘棍を打ち込み、蹴飛ばし骨を砕く。

その度に不快な、人間の身体が崩れる感触にぞっとする。

そして血潮の代わりに飛び散る真っ黒でべたべたとした何か、ああ、これが闇というモノなのだろうか、等と想いながらも右に左に武器を振るう。

 その度に闇で出来た干吉の身体は、砕け、潰れ、千切れ飛ぶ。

気付けば汚い泥でこね上げられた人型をした何かが幽鬼のように孫策の周囲を囲んでいた。

更には踏み出すたびに滑りそうになる地面、石の床に飛び散った闇は自らぐずぐずと蠢いていて孫策の足を掴んだりこづいたりしているようであった。

 どれほどの時が経過したのだろうか。

 肩で息をする孫策と、既に原型を留めず、流れる黒い泥の塊ばかりが数体。ただし振り上げられる刃の煌めきだけは未だ衰えてはいなかった。
 


 剣……


 
 孫策はふと思い至った。

 既に顔面どころか、人としての外形すら留められない泥人形。

殆ど子供の泥遊びで出来た塔にしか見えない、頂点で剣を振り回す異物。

表面を暗闇がずるずると流れ落ち、地面の闇溜まりを更に濃くする。

 ぶぅんという鈍い音から振り下ろされる剣。孫策はこれを左の闘棍で受け止め、剣そのものに右手の闘棍を打ち込む。
 


 吟!!
 


 異様な音が響き渡った。

 そして周囲に充ち満ちていた闇の気配に波紋が広がる。

「おや、いかんかな?本気を出そうかの」

 本当に慌てているふうの声が響き渡る。

見れば剣にはひびが入り、先程まであれほどの煌めき、光沢を見せていた刀身は見る間に薄汚れた鉄くれへと変貌していった。

本性を見せる剣に合わせて周囲の泥人形の動きも弱々しく、力無いものになっている。

 最低でも恐怖を持って迫るだけの存在感は既に無い。

 見れば周囲を囲む闇も、まるで薄墨のように彼方を見通せるようになっている。


 
 孫策の耳にも声は周囲全てから響いてくるように感じられた。

だが、忌々しさ、苛立ち、そしてなにより人形とは明らかに違う、両目を閉じていても分かる程の重みのある殺気。

これを感じたのは一カ所だけだった。

 駆け出す孫策。

 周囲の闇が、地面にわだかまる黒が。まるで遮るかのように、立ち塞がり腕を体を足に絡みついてくる。

だが全ては恐怖の見せる幻なのか、孫策の確信による突き進む意志の前には障害にもならなかった。

「まやかし程度でこの俺を止められるかよぉ!!」

 気付けば石段を駆け上がり君主の座席の前。

 驚愕に捕らわれた貧相な男。

 孫策の一撃は確実に男を撃ち抜いていた。




内容

 ▼大喬伝▼

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内容

 ▼小喬伝▼

小喬的視点  〜銅雀台脱出戦〜


文責:時計姫


絶体絶命、四面楚歌――

耳で聞いたことしかない言葉だったけど、今やっと意味が判った気がする。

帰らなくちゃいけない。そう、頭の中で誰かが叫んでる。でも、でも・・・。

周りを取り囲むのは、氷よりも冷たい色の鎧を着た兵士達、そして、・・・曹操。

空気を伝わる殺気と、気持ちの悪くなる嫌な視線に、あたしは鳥肌が立つのを感じた。

*      *     *

逃げなきゃ―――!!


本能がそう告げた。ここに居てはいけないと。

喬佳麗を握る。風を煽ぐ、その抵抗感。慣れた感覚が、あたしを少し勇気付けてくれる。


「周瑜さまのところに帰るんだから!!」


大声で叫んだ。挫けそうになる自分を奮い立たせるためだ。

だって、だって、あたしには―――


その時、風に乗ってよく知った声が届けられた。

空耳?

ううん、むしろそうであって欲しいと願いながら、今まで背を向けていた場所を振り返る。


「小喬が手に入らぬなら・・・大喬のみでもよいか・・・。」


ずんと身体に響いた曹操の声。そして、あいつの手下に捕まって悲鳴を上げるお姉ちゃんの姿。

体中の血が凍りついた気がした。

お姉ちゃんはあたしの身代わり?あたしが逃げたから、お姉ちゃんが連れて行かれちゃうの!?


「お姉ちゃん!」


あたしは思わず叫んでしまった。曹操があたしを見つけてニヤリと笑う。

馬鹿だ、と思った。これで戻ったら、折角作った逃げ出す機会が消えてしまう。

けれど―――

自慢の身軽さで、あいつらの背後に回りこんだ。その中で、お姉ちゃんを押さえ付けている奴の頭を力いっぱい殴る。

お姉ちゃんの救出には成功だ。問題は、どうやって逃げるかなんだけど・・・。

拾った喬美麗を渡した。今のところ、戦って切り抜ける方法しか見当たらない。


「小喬!」


嬉しそうで、それでいてどこか悲痛なお姉ちゃんの声。いつの間にか、水の一滴も洩らさないような包囲網が完成していた。

あたしはぐっとつばを飲み込んで、恐怖を堪えた。


「やはりお前たちは並べてこそ華よのう。」


一歩一歩、曹操が近づいてくる。まだ震えの抜けないお姉ちゃんをかばうつもりで、あたしはあいつの前に立った。

あたしだって怖いけど、怖がってなんかいられない。

負けないんだから!


「あんたなんか、やっつけてやるんだから!!」

*     *     *

そうよ。冗談じゃないわ。

だってあたしは、周瑜さまのところに帰るんだから。

周瑜さまのとなりにあたしがいる、そんな未来しか考えられないんだから!

呉の国は見えないくらいに遠いけれど、この風はきっと周瑜さまの元まで届いてる。

お姉ちゃんと目が合った。さっきまでとは全然違う、瞳の中の強い意志。

頷きあって、あたしは地を蹴った。


絶対、絶対に還るから。


待っててね、周瑜さま。


内容

 ▼周泰伝▼

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